ツナワタリマイライフ

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神曲プロデューサーから考える② 作り手の意図と作品の価値

はじめに

前回書いた(神曲プロデューサーから考える私と音楽制作 - ツナワタリマイライフ)記事を、本を勧めてくれた本人に見せるとアツいコメントが帰ってきたのでそのコメントバック記事です。(笑)

僕にこの本を勧めてくれた理由

きっと私が音楽をやってる人間だから、どう感じるかに興味があったんだと思います。 と推測していたんだけど、彼が言うには以下が勧めた理由だそうです。

  • ラノベ調のこの本を楽しめたか
  • 音楽屋から見たときの登場キャラクターをどう思うか
  • 握手券つきCDが当たり前になってる今、握手も込みでよいエンターテイメントだと肯定するのか、音で感動させるべきだと考えるのか

これらについてですが、楽しめました。なれるSEを読んでラノベっぽい文章(が何なのかはわからないけど)だなぁ、という話をしていたので気にしていたみたいです。読みたくないほど嫌いっていうよりは、気になっちゃう、程度なので、積極的に読む!とまではならないものの読むことを妨げる要因にはなってないです。

音楽屋っていってもプロで仕事をしてるわけじゃないので(笑)スタジオミュージシャンの世界は分からないですね。ただ主人公は相当才覚あるプレイヤーだと思うし、まぁ登場人物が業界でやたらと目立ってるであろうアブノーマルな?スーパーマンばかりなのは作り物感はある(笑)まぁヤクザなプロデューサや引退した伝説のベーシストややたら自由奔放でワガママなボーカルぐらいいるか。

あ、でもごめんキャラクターではなく物語について1つ言わせてもらうと、円周率のくだりだけはないと思う。あれはありえない。笑 ハ長調を並べただけで音楽だーとかその中にフレーズがあったーなんてのはファンタジーすぎて、それが音楽として成立していた様子はまったく想像できなかった。

握手券つきCD,つまり音楽(CD)に会えるという付加価値をつけて売り出すことについては何も意見はないです。エンターテイメントかという問いよりは、音楽のビジネスモデルが変わってきてるな、としか思わない。一商売手法としか思わないので、(音楽的な)エンターテイメントだとは思えないです。

音楽のビジネスモデルについて言及すると、やれライブで稼ぐグッズで稼ぐCDは売れない、かと思えば聴き放題のストリーミングサービスが最近台頭してきて、音楽のあり方が大きく変化してるのは確かです。

これに関しては、CDが売れないこと何が問題かってCD制作コストが高いことだと思うんです。だから配信を利用して流通コストを下げて値段も下げてほしい(だから僕は配信がCDとあまり値段が変わらないのは納得できていない)配信サービスの導入コストがかかっていることは分かるけど、やっぱりCDが売れないことを危惧しているから配信の値段を下げきれないのかな?と思ってしまう。

消費者からはもうお金が取れなくなってきてるので、パイを増やすしかない。ボーカロイドを筆頭に音楽制作のパイは広がってきてて、それはとても良いことだと思う。CDという媒体以外で音楽を評価できて、メディアに左右されすぎない、音楽評価の仕組みや音楽発見のシステムが今後できることを期待しています。

音楽やめるぐらいなら、音楽やめるよ

売れないものや、魅力がないものを大きく売れるように変化させたり、本人の意思とは全く関係ないところまで変えられてしまえば、それはプロデュースされる側にとって音楽じゃなくなる。それが作中に登場する海野リカコの「音楽をやめるぐらいなら、音楽やめるよ。」というセリフの真意だろう。

「セリフの真意」だろうなんてもっともらしく言っちゃっているけど、この話を読んでの自分の意見ですね。自分ならこういう意図で言うかなという意見ですね。

彼の意見をそのまま引用します。

俺は「音楽をやめるぐらいなら、音楽やめるよ。」は「最高の音楽(エンターテイメント)を生み出す手段あるにも関わらず、その最高の音楽を作ることをやめるなら、自分の今の音楽活動そのものをやめる」という意味だと思っている。 自分の音楽スタイルにリカコが拘っているとは感じられない。よりよいものを常に求めている。だからPV込みとはいえ自分を上回った主人公を認め、興味を持った。

逆にアイドルグループはかわいさやダンスで売るならともかく歌で売りだそうとすることが許せない。 100の能力を持つプロデューサが1しか能力を持たないアイドルと力を合わせて50の作品を作ることが気に入らない。エンターテイメントの人間として認められない。

それが、アイドルじゃないとできない、複数人の力と、下手だからこそ存在する、音のクオリティをあげる手段を用いて、いいものを作ったから、リカコは主人公を認め、自分の成長のネタを見つけたと喜んでいる。

だから、元を自由自在に変貌させることに対する嫌悪感なんてないって思うんじゃないかと思っている。

ごもっともな素晴らしい分析だと思います。

ただ僕は、「自分が目指す音楽」を曲げる、という意味の「音楽やめる」なら音楽やめるよ、と捉えました。元を変貌させる、という意味というよりは、本人の意図と異なる方向に変えることのほうが、僕は嫌だと思うんです。音楽を作る側の人間だから、窪井拓斗の気持ちに共感する。

リカコがどう考えて言ったかは、想像するしかないけれど、何で最高のものを作らないの?というクオリティに対する飽くなき探求と、歌が下手なものをプロデュースすることに対する憤りぐらいしか想像するネタがなかった。アイドルプロデュース後については主人公を賞賛していたけど、そこに例のセリフとの関連性を覚えなかったんだよな。

終わりに

共通の話を読んで意見が分かれるのは面白いですね。音楽家とプロデューサーって、本の著者と編集者みたいな関係なんだろうな。

自分は夢物語でも商業と音楽を切り離したくって、お金を稼がなくても良い音楽を作れる、そんな夢を見ていたいと想う。